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りんごになりたい

生きていることに価値がある人間になりたい

わたしは
全ての人には生きている意味があると思うのだが
そして価値も、あるのだと、思うのだが
というか、わたし以外の全ての人に、わたしは、それらの人が生きている価値を勝手に見出す勝手な人間なのだが

どうにも、自分には、自分だけには、生きている価値がないと感じてしまう

生きている意味は十分にある
わたしは今生きていることがとても楽しくて
それ自体が意味であると同時に
わたしが生きている理由である

意味や理由は自分の中にあるもので、
自分があると思えばあるのだが

けれども、価値、というのは、難しい

りんごに値札を貼るのは八百屋のように
りんごは、自分のりんごとしての価値を、決めることはできない

だれかが値札を貼ってくれないと、りんごは、100円という価値を、与えてもらえない

わたしがわたしの価値を決めることはできない

肩書きや財産、わたしはそういったものへのこだわりが一切ないため
お金がいくらあったとしても、いくら学歴があったとしても、そんなものは自分にとってはどうでもいいことで
例えばわたしに一億円という値札を誰かが貼ってくれても、早稲田卒(果たしてわたしは早稲田を卒業するのか)という肩書きを早稲田総長がくれたとしても、

そんなものは私にとってはどうでもいい、ただただどうでもいい


たとえ一億円という値札を誰かが貼ってくれても
一億円で誰かがわたしを買ってくれるまで
一億円で買ってもらえたところでやっと

私の価値を、誰かに認めてもらえたことになる

では、だれも一億円で買ってくれなかったら、どうしよう
一億円の価値が「ない」と、「このりんご100円か、高いね、買うのやめよっか」、と、言われてしまったら、どうしよう

誰かに認められて初めて、価値なのであるから

自分の価値を他から認められて得るということ、
そして、自分にそういう価値があるんだなって自覚をすること、

そこまでたどり着くのは自分一人ではできない

 

「自分にそういう価値があるんだなって自覚をする」、この難しさが、あまりにも辛い

しかもわたしの考える「価値」は、先に言ったように、財産や学歴じゃない、もっと、抽象的なものだから、
得ることが、とても、難しい

 

わたしは何が欲しいか、

わたしは、わたし自身にどんな価値があったら、どんな価値があるって他から認めてもらえたら、わたしは自分の価値を自覚できるのかという話

わたしが生きていることで
一人でも笑ってくれたら

お金も肩書きも、人の笑顔には敵わないだろう
わたしは人の笑顔以外何もいらない

誰かを笑顔にできる人間になれたら、
わたしは誰かを笑顔にしている、とやっと自分の価値を認めてあげられるのに

けれど人の笑顔はその人が自分で生み出したものでしょう
わたしがいなくても、その人は、笑顔になることができる素質を持って生まれた、とても素晴らしい素質を持って産まれた、価値ある人間なのだから、


という終わらないループで、
人の価値を認めすぎるあまりに、

いつまでも自分の価値がわからない


りんごになりたいなあ
青森県産とか長野県産とか、肩書きも最小限で、
一億円なんて言われたらそんな重すぎる価値なんて背負えないから、100円程度のほんのささやかな贅沢な価値で、
りんごなんて食べなくても、生きていけるのに

認めてもらえて、買ってもらえて、
別にここまではそんなにりんごが羨ましいわけじゃないんだけど

りんご食べて、笑顔にならない人、いないよね
りんご食べて、笑顔になって、りんごがその場にあるだけで、あたたかい差し色で、すこし、食卓が明るくなるよね

肩書きも値札もどうでもよくなるくらいの、素晴らしい価値が、りんごにはある

 

しかも食べた後は「ごちそうさま」を受け取って、颯爽と、自分は、三角コーナーに立ち去って

食べた人の一部として残りながらも、

跡を濁さず、美しく、死んでゆく

 

いいなあ、りんごになりたいな

 

でもりんごのその価値も、お日様から与えられたものだよね
いいなあ

 

りんごになりたい


ので

今日も外で煙草を吸います、お日様にあたりながら

 

暖かな陽の色に染まっているーー蜜柑でも、いいかも

檸檬はちょっとな、私らしすぎるなあ

一房の葡萄はーー

 

とまらなくなってきたのでおしまい