今日も、君が、幸せなように

今日も朝一で煙草

後から来た女の子はまだ煙草も吸えない年齢で、背中にギターを背負ってた

ピアノを長いことやっていたからか、調律の音が好き
ギターで言えばチューニングになるのかな


ところで私はどんなコンサートや発表会に行っても、プログラムと同じくらいに、調律の音を楽しみに行く

自分の舞台でも人の舞台でも

もう舞台にてピアノを弾く機会はなくなってしまったけれど(舞台上で真面目に弾いたのなんて、十何年もピアノをつづけて、最後の一回だけだった)

音が一つずつ、二つずつ、次第に合わさって、離合集散というのか、空気が徐々に一つにまとまって、あの「調律してる時のあの響き」が生まれるのがすごく好き


実家の自分のピアノも、私が弾いた時の音よりも、
「私が一年間弾いてきて出来たピアノ」を、調律師さんが仕上げてくれる時の音、
そしてそれをまた私が弾いて、ピアノを育てていくような感じがすごく好き


話に戻ると、
病院の一番端の禁煙所の側でギターをかき鳴らして歌う少女のこれまでの経緯なんて私は何も知らないけれど、

入院するほどの致命傷を恐らく心に負っているのであろうその少女が、笑顔で叫ぶ言葉は、すべて、ポジティブで、

痛みを抱きしめて、前に向かう歌しか歌わない

から、勝手に私は泣いていた

 

彼女のオリジナルの曲の最後の言葉

「今日も、君が、幸せなように」

という詩が、声が、耳から離れない


朝焼け、小焼けに、流星群、
白む空や、
北の空から生まれる星々の全てに、
他の幸せを願う歌を、生み出して

その歌を中心に人が集まって、
駐車場にはいつの間にかギャラリーが増えていて
看護師さんも患者さんも


自分の声とギターだけを中心に、周囲に集まる色々な痛みを抱えた色々な人の全てを肯定して、
全員分の幸せをまとめて星に願ってくれる、


その情景の美しさは、朝焼けどころではなかった

 

いつか路上で会えるかな

いつかテレビで見れるかな

その時は一番の古参とか勝手に名乗ってファンレター送りまくろうとか
路上ライブも絶対見たいし

とか、自分の願いばかりの私は相当アホだ


「今日も、君が、幸せなように」


否応無しに、今日は、朝一で、幸せな日にされてしまった
そうやって、明るい方向に、世界を全部引っ張ってゆけるの、すごく、いいよね

 


私はやっぱり音楽がないとだめだなあ

十何年もつづけていたので、流石に、

本当は、ピアノが一番、書き言葉と同様に、一番自分の心と身体に近くて、むしろ身体以上に自分の身体の延長として、何よりも自由に扱える表出の媒体なんだけど、

流石にピアノは一人暮らしの1Kに置くにはでかいし
ピアノしか弾いてきていない手では、キーボードはどうにもいつも壊しかけそうになってしまって苦手で、
アコーディオンは高いしよくわからないし、
バンドネオンは見た目からしてなんかもうどうなってんのか謎だし、

どこでもいつでも、声とそれだけで音を生み出せる何か、ないかな
何でもいい、和音とスケールとアルペジオだけでいいからなんかないかな

手元で扱える小さなギター、退院したら買おうかな

ピアノほど自由に扱えるようになるには何年かかるかなあ

女の子はギターを始めて二年と言っていた
私も十年くらいやれば、弾けるかしら


ピアノって持ち歩けないのが唯一の欠点よね
オーケストラを一人でやってるようなもんだから仕方がないけど

りんごになりたい

生きていることに価値がある人間になりたい

わたしは
全ての人には生きている意味があると思うのだが
そして価値も、あるのだと、思うのだが
というか、わたし以外の全ての人に、わたしは、それらの人が生きている価値を勝手に見出す勝手な人間なのだが

どうにも、自分には、自分だけには、生きている価値がないと感じてしまう

生きている意味は十分にある
わたしは今生きていることがとても楽しくて
それ自体が意味であると同時に
わたしが生きている理由である

意味や理由は自分の中にあるもので、
自分があると思えばあるのだが

けれども、価値、というのは、難しい

りんごに値札を貼るのは八百屋のように
りんごは、自分のりんごとしての価値を、決めることはできない

だれかが値札を貼ってくれないと、りんごは、100円という価値を、与えてもらえない

わたしがわたしの価値を決めることはできない

肩書きや財産、わたしはそういったものへのこだわりが一切ないため
お金がいくらあったとしても、いくら学歴があったとしても、そんなものは自分にとってはどうでもいいことで
例えばわたしに一億円という値札を誰かが貼ってくれても、早稲田卒(果たしてわたしは早稲田を卒業するのか)という肩書きを早稲田総長がくれたとしても、

そんなものは私にとってはどうでもいい、ただただどうでもいい


たとえ一億円という値札を誰かが貼ってくれても
一億円で誰かがわたしを買ってくれるまで
一億円で買ってもらえたところでやっと

私の価値を、誰かに認めてもらえたことになる

では、だれも一億円で買ってくれなかったら、どうしよう
一億円の価値が「ない」と、「このりんご100円か、高いね、買うのやめよっか」、と、言われてしまったら、どうしよう

誰かに認められて初めて、価値なのであるから

自分の価値を他から認められて得るということ、
そして、自分にそういう価値があるんだなって自覚をすること、

そこまでたどり着くのは自分一人ではできない

 

「自分にそういう価値があるんだなって自覚をする」、この難しさが、あまりにも辛い

しかもわたしの考える「価値」は、先に言ったように、財産や学歴じゃない、もっと、抽象的なものだから、
得ることが、とても、難しい

 

わたしは何が欲しいか、

わたしは、わたし自身にどんな価値があったら、どんな価値があるって他から認めてもらえたら、わたしは自分の価値を自覚できるのかという話

わたしが生きていることで
一人でも笑ってくれたら

お金も肩書きも、人の笑顔には敵わないだろう
わたしは人の笑顔以外何もいらない

誰かを笑顔にできる人間になれたら、
わたしは誰かを笑顔にしている、とやっと自分の価値を認めてあげられるのに

けれど人の笑顔はその人が自分で生み出したものでしょう
わたしがいなくても、その人は、笑顔になることができる素質を持って生まれた、とても素晴らしい素質を持って産まれた、価値ある人間なのだから、


という終わらないループで、
人の価値を認めすぎるあまりに、

いつまでも自分の価値がわからない


りんごになりたいなあ
青森県産とか長野県産とか、肩書きも最小限で、
一億円なんて言われたらそんな重すぎる価値なんて背負えないから、100円程度のほんのささやかな贅沢な価値で、
りんごなんて食べなくても、生きていけるのに

認めてもらえて、買ってもらえて、
別にここまではそんなにりんごが羨ましいわけじゃないんだけど

りんご食べて、笑顔にならない人、いないよね
りんご食べて、笑顔になって、りんごがその場にあるだけで、あたたかい差し色で、すこし、食卓が明るくなるよね

肩書きも値札もどうでもよくなるくらいの、素晴らしい価値が、りんごにはある

 

しかも食べた後は「ごちそうさま」を受け取って、颯爽と、自分は、三角コーナーに立ち去って

食べた人の一部として残りながらも、

跡を濁さず、美しく、死んでゆく

 

いいなあ、りんごになりたいな

 

でもりんごのその価値も、お日様から与えられたものだよね
いいなあ

 

りんごになりたい


ので

今日も外で煙草を吸います、お日様にあたりながら

 

暖かな陽の色に染まっているーー蜜柑でも、いいかも

檸檬はちょっとな、私らしすぎるなあ

一房の葡萄はーー

 

とまらなくなってきたのでおしまい

花が好き

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「最低な学校」「最低な教師」「最低な家庭環境」「最低な人間関係」、「最低な最低なわたしの二十年」の最果てにたどり着いた精神病院は、横浜の、見晴らしの良い丘の上にある。

 

寒い日に煙草を吸いに外に出て、

今日は冬の始まりの日

大山を北に臨んで、山肌のうつくしさが、よく、わかる

 

丹沢大山朝日に映えて

胸の山百合

育つ庭

 

わたしを苦しめた最低な中学の校歌は、大山の美しさを、本当は、十三歳の私に、教えてくれていた。

今初めて気がついた山肌のうつくしさと柔らかな稜線に見守られて

大嫌いなあの街で、この場所に来るために、

わたしは育っていたのだね。

 

山百合ではないけれど

花が好き